1952年 大阪生まれ
69年 16才でレース初出場(鈴鹿サーキット)
72年 19才、カワサキテストライダーとなる。
73年 20才、ロードレースセニア昇格(現在の国際A級)
75年 23才、鈴鹿200マイルレース(クラス2位、総合5位)
78年 第1回鈴鹿8時間耐久ロードレース クラス1位、総合5位
79年 第2回鈴鹿8耐徳野ブラザーズとして、兄、博人と出場。
2分20秒が壁とされる中、日本人としてダントツの2分17秒をマーク、
予選2位で決勝進出。豪快な走りで観客を魅了する。
結果は、1位走行中転倒リタイア。
80年 第3回鈴鹿8耐 7位完走
81年 第4回鈴鹿8耐 8位完走
鈴鹿選手権シリーズF1クラス(1000cc)シリーズチャンピオン
アメリカ、デイトナスーパーバイクで4位入賞を果たす。
82年 第5回鈴鹿8耐 29位完走
カワサキからホンダレーシングチームコーポレーション(HRC)に移籍。
83年 第6回鈴鹿8耐 52位完走
85年 第8回鈴鹿8耐 W.ガ-ドナーとのペアで、日本人として初の8耐優勝
87年 第10回鈴鹿8耐 12位完走
88年 ファクトリーライダー引退。
その後は、プライベーターとして、レース活動、ライディングスクール講師、
交通安全講習会の指導を行う。
第11回鈴鹿8耐 26位完走
89年 第12回鈴鹿8耐 高田純次監督のスポーツキッスレーシングチームで出場。
結果は転倒リタイア。関東地区で、後日2時間のドキュメント番組を放映する。
90年 第13回鈴鹿8耐 読売TVで、レーシングチームYO-1を結成。
チーム運営とライダーのかけ持ち参戦する。決勝43位。
毎月1回の番組と耐久ドキュメントを放映する。
91年 第14回鈴鹿8耐 90年に引き続きYO-1で参戦。
監督に掛布雅之が就任。決勝33位。毎月1回の番組と耐久ドキュメントを放映する。
93年 第16回鈴鹿8耐 39位完走
94年 FM大阪8耐スペシャルのゲストコメンテーターを努める。
95年 FM大阪8耐実況放送で解説者を努める。
96年 第19回鈴鹿8耐 47位完走
97年 第20回鈴鹿8耐 48位完走
豪雨の中で、30台ゴボウ抜きで16位まで上るが、転倒で47位。
しかし、徳野健在ぶりを往年のファンに印象づけた。
44才にして、12年ぶりに自己べストラップを更新
98年 第21回鈴鹿8耐 40位完走
99年 第22回鈴鹿8耐 195ラップ 16位完走
この195ラップは、自身が85年優勝時に記録した周回数に並ぶ画期的な記録である。
また、鈴鹿8耐決勝出場、通算17回は歴代1位
チーム体制が整い、会心の走行であった。
00年 第23回鈴鹿8耐 24位完走
ミレニアムIN鈴鹿8耐にチーム信長で出場!!
8耐最多出場記録を更新 予選24位、決勝7時間までは16位走行中、
後輪脱落と言うトラブルでポイントを24位まで下げるが、
無事完走24位 2000年を締めくくる年であった。